物星総版奇面組との出会い
文章がかなり長いので読む場合は心して読むべし!

奇面組の名前を初めて耳にしたのは大昔、当時私は小学6年生。
このホームページを製作している2019年現在から、かれこれ30年以上も前の事であった。

当時、仲の良かったいつもの6人集団、T君(その1),M君,T君(その2),K君,O君,そして私。
先生からいつも監視されているような悪ガキ6人衆であったw
いつもの生活いつもの休み時間いつもの6人は自分達の教室の隣、用具準備室にてたむろ中
その時一人の口から飛び出したこの一言。
「俺達ってまるで奇面組みたいだな・・・」
まだ奇面組を知らなかった私は何を言ってるのかも全然分からなかったのだが
今考えるとコレが私の記憶に残る最古の奇面組の思い出である。

時は流れ中学時代、あまり仲が良いワケでも無かった同級生の家にお邪魔した。
部屋に散乱していた数冊の漫画本、そしてその中にあった3年奇面組第6巻
「何じゃ!こりゃあぁ~!!」 思わず叫んだその一言・・・
そう! その一冊は他を圧倒するほど分厚い単行本! 中身を読まずともその風貌はまさに奇面であった。

それからしばらくして「ドラゴンボール」目当てに買い始めた「週間少年ジャンプ」
ジャンプ黄金時代の歴史をそのまま波に乗って行く私。
その週間少年ジャンプに他の有名な人気連載漫画と共に連載中の奇面組。
当時、一つのお気に入りの漫画にすぎなかった奇面組だが
それから間もなく私は奇面組の世界にズルズルと引き寄せられて行くのである。

ジャンプを買い始めて間もなく、奇面組の連載は終わった・・・ 続けざまにアニメも終わった・・・
なんてタイミングの悪い奇面組ファンの一人であろうか? 自分の事ながらつくづくそう思う。
この時はまだ、好きな漫画のひとつ程度にしか思って無かったのでショックとかそういった感情は無かったけど
今にして思えばあまりにも無残である。
それから間も無く、こちら関東地区では奇面組の再放送が始まる。
「あ、この漫画好きだからビデオに撮ろう♪」
何気無かったその行動が後の私「いなえ」を作るきっかけとなる。

毎日再放送される奇面組のアニメ。 私はたちまちその世界に引きずり込まれハマッてしまう。
家にあった60分のテープと30分の2本のテープ そのテープが奇面組で全部埋め尽くされる頃
新たなビデオテープが欲しくなり親にねだる! しつこくねだる! 諦めずにねだる!!
「・・・重ね撮りしなさい!!」 なんと言う残酷な一言であろうか?
それもそのハズ、当時ビデオテープは高級品で1本800円くらいしていた。
・・・まあ、ビデオデッキが家にあったと言うだけでもみっけもんだったのだが
私は泣く泣く重ね撮りを余儀なくされ、再放送が終わる頃には最後の十数話分しか残らない無残な結果となる。
それでも、その2本のビデオテープは大事に大事に数十回再生が繰り返され映像が乱れる状態まで大切にされるw

奇面組で他にしていた事と言えば誰もがするであろう単行本集め。 少ない小遣いを節約しつつ古本屋で1冊づつ購入して行く。
だがしかし所詮は中学生の小遣い、単行本全巻揃えるのに何ヶ月ついやした事か?
私の記憶が正しければ最初に単行本を買い始め全26巻揃え終わるまでに半年くらいかかった様な気がする。
集めた単行本は今もなお、部屋の一番見やすい場所で堂々たる姿を見る事ができるが
その姿はいつバラバラになってもおかしく無い程にくたびれており長い年月を感じざるをえない状態そのもの。
まさに私が奇面組共に歩んで来た歴史である!

奇面組にハマって間もなく、私は他の人とは違う道を歩み始める。
「えっ!?高校には行かない???」 周りの人間のほとんどが驚きの表情を浮かべた。
だって勉強は好きじゃ無いし、好きでも無い勉強をやるよりは前からやりたかった親父の後継ぎ(建築板金職)やった方がお金になるし・・・
そんな考えが私の中で大きくなって行った。
親、先生、周りの友達。 みんな最初は高校くらい行った方が良いんじゃ無いか?と言っていたのだが
「高校くらい行かなくても何の問題もあるまいて・・・」 と、強気な意見を述べる様になった頃
学校の成績が落ちまくる一方、それを反発するかのように私の性格が明るくなって行った。
奇面組はまさに私の人生において最大の影響を与えた。

そして中学3年。 私が奇面組の影響をモロに受けて性格そのものが180度変化した時である。

1学期。
私は元々入っていた陸上部から逃げ出し水泳部へと流れて行った。
陸上部には何を考えているのやら、私に対してミョ~にライバル心むき出しの人がおりまして
何かあると必ずからんで来る厄介な人がおったのです。
まぁ、私が大人しい人間だったから、からかうのに丁度良いってのが、たぶん本当の事だとは思うんだけど
その人と一緒にいたく無かったって凄まじい理由で1年に数人しか出ない部活動変更した人間の仲間入りをする
水泳部の活動はそれはそれは快適で、凄まじく汚れたプール掃除から始まった。
「うりゃうりゃうりゃぁ~!!」 ムキになってプール掃除。 必死でモップを操る!
何だか知らないけど、私の掃除してる姿が面白いと下級生達がマネをする。 「・・・うりゃうりゃうりゃぁ~!!」
「おまえら!そのゾーンはわしのシャバじゃ!! あっちやれ!あっちっ!!」
「オッケー! ボスっ!!」 ・・・(いつの間にやらボス扱い)・・・
そんなワケの分からない生活がしばらく続き、気がつくと部長に昇格。 
「・・・な、なんで私が???」  水泳部顧問の先生に尋ねてみた。
「だってお前、良いように後輩を操っていたじゃないか・・・」 と一言。
それは違うんだぁ~!そうじゃ無いんだぁ~!! ・・・私の心がそう叫んだが時すでに遅し
水泳部イチ泳ぎの遅い部長がその中学に誕生してしまった・・・
夏休みの水泳大会、同級生から400メートルリレーを一人で泳げ!と指示されたが
担任にすんでの所で止められ実現にはいたらず・・・(無念)

2学期
高校入試に向けて周りの人達は必死に勉強をしていた。
そんな中、いたってのんきな私は部活動とは違う、週一時間だけの特別授業であるクラブの作業に夢中♪
そのクラブの名前は「紙飛行機クラブ」 半分遊びの気分転換的な授業であった。
所が何を思ったのか紙飛行機クラブは冬になると風が強くなり作った紙飛行機を飛ばせないと言う理由から
ミニ四駆クラブに大変身!! 当時絶大な人気を誇っていたミニ四駆、それを走らせて遊ぶ。
まさに授業とは言えない授業・・・ この学校本当に大丈夫なのか? 本気でそう思った。
所がそのミニ四駆クラブを凄まじい勢いで楽しんでいたのもこの私で
学校の校舎裏に全長20メートルもの巨大コースを作ろう計画を、早朝、休み時間、放課後問わず一人もくもくとこなして楽しんでいた。
二ヵ月後、生徒十数人で作っていたミニ四駆コースは他の生徒に無残に破壊され
何故か、先生に承諾を得て私一人で製作していた全長5メートルの第二コースだけが完成した(謎)
第一コースが完成したあかつきにはテレビ局でも呼んで放送して貰おう!・・・のハズだったのに・・・
しかも、私達製作者一同が学校を卒業して間もなく、そのコースは忽然と姿を消す!

3学期
高校入試をパスしようとしてた私にひとつの転機が訪れる。 建築専門学校への進めである。
そこの学校はいわゆる成績の悪い人が高校を出なくても就職できる様に作られた学校だったので
初めのうちは行く気がまったく無かったのだが、親父のこの一言 「あと1年くらい遊んでこいや」 ・・・で、受験を決めた。
それまで受験勉強とは縁の無かった私は当然本腰を入れて勉強するワケでも無く、ぶっつけ本番で受験。
募集人数18名に対し受験数102名のその専門学校は競争率約600%、6人に1人の合格率。
回りにいた同じ受験者のほとんどがヤンキー兄ちゃんっぽい人達であった(笑)
受験開始!その時の受験テスト問題第1問目は死ぬまで忘れない・・・
問1、 3-5=
お前ら!俺をバカにしてんのかっ!? マジでそう思った・・・
そして受験の個人面談ではわらしの個性が爆発!
「この学校を選んだ理由は?」
 「親父の後を継ぐのに1年勉強してこいって言われたので来ました」
「中学時代に夢中になってた事は?」
 「みみみ・・・ミニ四駆と言う電動車なるモノのコース作りをしてました」
「自分の長所と短所は?」
 「長所は気長な所なんですが短所は沢山ありすぎてちょっと、え~と・・・」
わらしが質問に答える度に、何故か笑いがクスクスと聞こえてくる。
受験が終わり学校へと戻ったわらしは教室に入るなり「どうだった?どうだった?」・・・と、普通では無い歓迎を受ける。
「へんっ! どうせ落ちてるさっ!!」
元々受かっても受からなくてもどっちでも良いやと思っていた私は変に強気である。
合格発表当日、本人は何故か学校へ・・・ 合格発表には母親が行った。
昼休み家に電話。 母親から「受かってたよ!」の知らせを受ける。
「なんで???」 真剣に疑問であった・・・
この日、私の専門学校受験合格に我が母親は泣いたと言う。 そんなに感動せんでも良いと思うのだが・・・
こんなデキの悪い子が高校受験に成功した事がよほど嬉しかったと見える! 姉貴の時は平然としてたのに・・・
担任の先生に小声で「合格しました~♪」と報告に行くと
「おおっ!!やったな!おめでとうっ!!」 大きな声が響き渡る。
その声で私の受験合格を知った職員室の先生の大半が 「おおっ~!!」と歓声を上げ拍手が巻き起こった!!
・・・あんたら、他の生徒にゃそこまでして無かったじゃ無いか・・・ そんなに私の合格は別格なのか!?
どうやら別格だったらしい・・・
「お前の将来ってのはな、一番期待できるんだけど一番不安なんだよっ!」
担任から貰ったそのお言葉、今も忘れておりませぬ。

卒業間際に書いた作文「10年後の自分」
皆、定番のようにそのタイトルが付けられてた中、私が書いた作文のタイトルは「○○板金営業中!」
昔から私はよく人から 「文才あるんじゃないか!?」 ・・・と言われるのだが、どうなんでございましょうか?
そしてその作文の中にはしっかり、当時中学3年の自分が描いた奇面組が描かれている。


物星総版奇面組との出会い・・・の続き
好評につき続編などやってみますw

専門学校に入学してまもなく、それは起こった!
新沢基栄先生復活!! そう、「ぼくはしたたか君」の連載開始である。
奇面組の作者である新沢基栄先生が同じジャンプで同じギャグマンガを描きはじめたのである。
しかしそれは奇面組復活と言う、私のかすかな希望を打ち砕かれた瞬間でもあった。
嬉しい事は嬉しいんだけど、私の心中は複雑・・・
ともあれまたあの面白楽しい漫画のテンションを味わえると思うと嬉しい方が先決! それはそれとして当時は楽しんだ。

しかし、専門学校の規則は厳しく他の学校のほとんどが週休2日制を導入しているのに対し
我が母校は土曜日までもキッチリ半日過ごさなくてはならず自由になる時間がほとんど無いに等しかった。
風邪を引いて休むにしても休んだ理由と日にちを書いた紙に担任と校長にハンコを押して貰わなければならないと言う
「普通ここまでやるか!?」 と思うような程、監視された状態であった。
だ~がしかし、私だってやるときゃやる!
とある土曜日、とあるジャンプのイベントに応募したモノが見事に当選したので
親に頼み込み仮病の共犯を買って貰う。 それに乗ってしまったウチの親も親だが
「もし協力してくれなくても俺はサボるから♪」 と一言。 そんな事を言われたらどうしようも無いw
ともあれ、親が折れてくれたのでその時は本当に良い親を持ったと ・・・勘違いをしていたようだ。

ジャンプのとあるイベントにて本物の新沢基栄先生を拝見♪ すんご~く遠くからだったのであまり良くは分からなかったけど
その時同席していたシティーハンターの北条先生を交えた会話は今も記憶に残っている。
イベントも終わりが近づいた所で直執サインプレゼントなる催しが行われた。
もちろん私が当選したワケでは無いがその時知った事実。
「へ~・・・ 新沢先生ってイラストは目ん玉からじゃ無く輪郭から描き出すのか~」 新しい発見であった!
その印象がミョ~に強かったのか、私自身もイラストは輪郭から描き出す。

私がイラストを描くようになったのもこの時期。 とはいえそのほとんどが奇面組のパクリ、模写であった。
そのうちの一つとしてどこぞにアップしてある1000ピースジグソーパズル。
アレは今見てもかなり完成度が高い貴重品だ! 作ったときは気合い入ってたからな~w

専門学校では私生活においても奇面組においてもこのくらいしか思い出が無い。
ただただ忙しい毎日で楽しい時期と楽しい時期の谷間の1年と私は感じている。
「何で合格なんかしたかな~???」 今だにその事を疑問視するのであった・・・

専門学校を無事卒業した私は早速親父の手伝い。
3月16日卒業の18日仕事開始と言う笑える状態であった・・・
何にしても仕事が山程! 1日の日給が4000円だったにも関わらず毎日9時まで残業が続き
一ヶ月の給料が16万円(40日分)と言う時もあったのである。 (一ヶ月での休日2日半、1時間500円の残業手当)
「あんた・・・それって自営業の仕事とちゃいまっせ・・・」 当時はそんな事を考えながら与えられた仕事をもくもくとこなしていた。
ともあれ最初の給料で自分の部屋に初めて安物の14型テレビがお目見えする。
「これで心おきなくイレブンPM・・・イヤッ!好きな番組が見られるぜ!」 当時の私としては最高の贅沢であった。
次の給料で安物のビデオデッキを購入すると以前録画しておいた奇面組のビデオが見放題w
コレを起点に私の部屋が電化製品まみれへと変貌をとげて行く事となる。

仕事をやるようになってまもなく、自動車学校へ免許取得へと乗り出す!
当然、勉強嫌いの私は物覚えが最悪でペーパーテストに散々苦労した。
ぶっちゃけた話、いくつものペーパーテストで落ちた回数全部で11回w 本格的なバカだった。
分かる人にゃ分かるだろうが、効果測定2でのテスト。 90点以上で合格と言う試験を受けた時
最初は80点、次に82点、84点、86点、88点、と少しずつ点数が上がってきたので
「よっしゃっ!次こそ合格だっ!!」と意気込んで受けたあの日・・・ 89点。 笑いが止まらなかった。
ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる、7回目にしてようやく突破!
「奇面組が免許取る時もこんなだろか?」 等とワケの分からない事を考えていた。
実地試験は1発合格なのにね・・・
免許取得してしばらく、私はペーパードライバーであった。 運転するのが怖かったのである。
今からしてみれば日本全国を渡り歩き車と私は一心同体ってな感じなのだが、私にもそんな時期はあったのである。

さて、話が脱線した感じになってはいるが気にせずに行こう!
車には乗らなくても私は行動派! 自転車と電車で何処へでも行ってしまうヤツであった。
そんな頃、「アニメイト」と言うお店の存在を知る。 当時アニメイトは全国に12件しか存在していなかった。
もしかしたら奇面組のグッツ(ノートや下敷き等)が売れ残ってるかもしれないな・・・
と言うかすかな希望を持って何軒かのアニメイトをめぐってみたのだが結果は全滅! 時期が遅すぎた。
ここから私と奇面組グッツとの格闘が始まるw

グッツこそ全然手に入らないのだがこの時期古本屋にてアニメージュやアニメディアといった
奇面組の情報が記載されている雑誌を黙々と購入して行く。
奇面組が記載されてる雑誌がひととおり揃う頃、それは突然起こった!

いつものように仕事に出かける。 その日は古新聞工場の壁の張替え。
いつものように仕事をもくもくとこなしていると1台の車が私の横を通過・・・
その時私の目に飛び込んで来たものは、過去数年分の週間少年ジャンプの束!!
「ぬっおひゅっ!!」 ワケの分からない奇声が飛ぶ!!
その車の近くに行ってジャンプの束を確認してみると奇面組が連載していた当時のものであった!
私は必死の説得で親父と工場の責任者をまるめこめ、150冊以上もの奇面組が連載されてるジャンプをゲットした!!
今現在、そのジャンプは庭の倉庫に眠っているがあれから買い続けているジャンプは既に1800冊を突破・・・
この先、たまったジャンプをいったいどうしたら良いもんかと悩んでいる。

それからしばらくの間、奇面組に関する情報も何も無く普通の生活(・・・とは言えないけど)を送っていた。
その間、奇面組を人生の目標としていた私は、日本全国を車で回ると言った普通の人がやらない行動を好き好んでやっている。
そののちこちら関東地区では数回、奇面組の再放送が流れたが、そのつど奇面組をビデオに収め今にいたっている。

そしてドトウの1998年!!
とある情報誌に私の名前が載る。 「奇面組が好きな人!文通しませうっ!!」
コレを期にいなえは奇面組の世界に再びカムバック。
現在、ネットなる事にて こ~んなしょ~もない事等しておりませうw

2026年、こうして奇面組が再アニメ化してまいりました!
昔からのファン、新しく好きになってくれた方、みんなひっくるめて
奇面組と言う名作を大事にしてやって下さるようお願いしたく思います。

・・・ま~♪ な~んて素晴らしい締め方かしら?
私にこんなの似合いません事よ!w
ぶひゃひゃひゃひゃ~!!
(ちゃんちゃん)


2025年11月 物星総